自分の中の錯覚と歪み、そしてそれに対抗する

大好きなお笑い芸人さんのラジオ絡みで、最近またあるアーティストさんが好きになっている。

元々好きだけど、最近ご無沙汰だった。


芸人さんがラジオでカバー曲の話をしたところ、
ボーカルの方がTwitterにそのカバー曲をアコギで弾き歌いしたものを上げていた。


やっぱり人の声も歌い方も素敵だなぁ、と思う反面、それは本当に彼女の歌に対する純粋な感情なのか、自分に問い詰めたくなった。

そのボーカルの方は、美人だし、身に着けるもののセンスも素敵だと思う。

そんな「歌以外の部分」が、その人に対する評価を歪めているのではないか、
と、怖くなった。


そんなこと、人と人との関係性1個につき何個もあるだろうし、
もはや街中に溢れている、みたいなレベルではないほど氾濫しているんだろうけど。



だけど、ちょっと苦手だ。



そういうものとは距離を取ろうと思っているものの、今回みたいに自分にもいっぱい当てはまる事例があると思う。

そこで、少しずつ対処法を考えている。

冒頭に出てきた、大好きな芸人さん。
彼は、自分に向けられる称賛に対して「それは本当か?」と、一度距離を取っている感じがする。

凄く周りからの評判が良かったらしいネタ、
僕も本当に面白いなぁ、と思った漫才のネタを、
「よく考えたら、いつもと違う手法にしたから物珍しさが面白いに変わってる部分があるわ」
みたいな感じで。


今思うと、相方さん含めて、そういう人たちなのかな?


熱狂を作っては熱狂を疑う、その積み重ねは錯覚に勝てるのではないかと、少し勇気が湧いた。