白い羊と黒い羊

留学生とはいえ、普段異国で暮らしているとなると、やはり日本で暮らしているより不便なことは多い。
言語や文化の違いを入り口に、不便は、手を変え品を変えプレッシャーをかけてくる。



平時でもかわすテクニックが必要なので、こんな時期になると大変だ。

飛行機での渡航は、普段と全く違う。
そこそこの遠回りしなくては現地にたどり着けない。
欠航の連絡があるならまだマシだ、当日に確認したいことがあって電話したら、1ヶ月前に欠航が決まっていたが、ゴタゴタで連絡すらなかったようだ。
新幹線に乗る前で本当によかった、運が良かった。
オペレーターさんが丁寧な人だったのも、本当に運が良かった。




そして最大の懸案は、差別だ。

分かりやすいところで、異国での生活中の差別。
特に、この期間現地に留まっていた知り合いからは、やはり街で差別的なことを言われる経験があったと聞いた。
別々の都市から、複数回そんな話が。

皮膚や目の色で、いったいその人の何が分かるというのか。
生まれたところすら分からないだろう。

しかし、「グループの外の人々」には、しばしば敵意が向けられる。



それは日本国内、日本人同士でも簡単に起こる。

留学生バッシング、そこまで大きくはならなかったが、本当に怖かった。
このパンデミックが始まる前に帰って来ていたのだが、
本当に親しい人以外には帰国したことは告げなかった。


そして、フリーランスの芸術家への給付金をめぐるバッシング。
文化を、芸術家を守ろうとしていた政治家のツイートに
「夢を追って困っているなら自己責任だ」
「他に困っているところにお金を回せ」
という趣旨のリプライがズラッと並んでいた。


僕が感じたプレッシャーはこの辺りだろうか。



「共通点がある」「すでに知っている」とき、脳は「好意的な感情」を生み出すらしく、
逆に「共通点が無い」「まだ知らない」とき、
人間はどこか慎重になったり、注意深くなるように作られているらしい。


この脳のシステムの傾向は、余裕が無ければ無いほど、強くなるのではないか?と思っている。
自分たちのグループを優先し、知らないグループを蔑ろにする。

まだそう長くない人生だけれど、いっぱい心当たりがある。
また、その事実は自分の未熟さをハッキリと目の前に突きつけてくる。




自分と同じ色だと思っていた群れの仲間、けれど似ている別の色だと認識した時点で排除の対象としてしまう。

逆に、群れの色と自分の色の差に気づいてしまったとき、どうなるのだろう。
自分の色を変える?色が変えられなかったら、必死に隠し通す?
いっそ群れから離れる?


そんなことを考えている内に、そもそも群れの中でも、全く同一の色など存在しないことに気づいたり、
色分けの追求をした結果、最後は自分以外存在しない群れを作ったりしてしまうのだろうと、
なんとなくそんな結末が頭に浮かんだ。 


色に細かく名前をつける民族だからこそ、色に敏感な民族だからこそ、自分と他者の色の違いへの折り合いの付け方を見つけられるのではないかな?と、ちょっと希望を持てる自分もいる。
その方法は、色の数だけあるのかもしれないし。




羊毛と雲の色の差を知る羊 その毛は黒で、はたまた白で